「台風13号の影響」
で、今月の「しった-か-ぶりコーナー」が増大致しました。この日、Bar Higuchi は台風にめげずOpen!
いつも通り夜7時からの営業を敢行したのですが7:25pmには閉店。
何と25分間の営業でした。その後は皆で掃除やHPの原稿書き。それなりに充実した一日でございました。
当店の箸袋をリニューアル!お分かりでしょうか!?
いえ、紙を変えただけなのですが・・・。
いえ、紙を変えただけなのですが・・・。
マサフィー(アラブ首長国連邦ドバイ産)のボトルデザインも変更。Bar Higuchi定番のチェイサー用ミネラルウォーター。アクアサプライ高橋武義氏(当店HP水のソムリエ徒然草連載中)推奨品。
そしてなんとゴードンまでも!
このところ大幅なデザインの変更はなかったブランドだけに、これだけ大胆なボトルチェンジは強烈なインパクトを与えてくれます。
今までのボトルはこの途端に旧ボトルとなり、一部のコレクターの方々がケース単位で買い求めることでしょう。
このところ大幅なデザインの変更はなかったブランドだけに、これだけ大胆なボトルチェンジは強烈なインパクトを与えてくれます。
今までのボトルはこの途端に旧ボトルとなり、一部のコレクターの方々がケース単位で買い求めることでしょう。
今年4回目のトリマルキオンはベトナム料理となりました。
晩夏とはいえ、あまりにも暑い日が続いておりました故に、やはりここはスパイシーなエスニックなお料理を選択すべきであろうという声が強く、それではと福岡でベトナム料理といえばやはりこちら、南十字星さんに。
実はわたくし、伺ったことがなく、他の皆さんに尋ねると行ったことのある方でも「もう何年も行っていない」とのご返答が数名・・・。「うむ、まずは行ってみるか!」と事前調査(?)を実施したのでした。
行ってよございました。いろんなポイントで驚きの連続。どんなところに心動かされたのか述べてみたいのは山々ですが、これだけで今回の報告がいっぱいになってしまいそうですので割愛させていただきますが、一言で申し上げると「ザ・ベトナム料理とその周辺」。その周辺がポイント。
それは当日もそうだったのですが、定番だけでなくそのレパートリーはとても豊富で、あれも食べたいこれも食べたい、あれは出てこなかった、そういえばあれも、と多種多様。また今度きてあれも食べてみようと思われた方も多かったのではないでしょうか。
そんな中でもその日のメインは「アヒル」。ベトナムでもお正月といったとても特別な時にしか出てこないというハレの日のメニューであり、当日は16名で2羽いただきました。中はもち米が詰めてあり、スパイシーなスープもたっぷりと用意。まるで全員でご当地に旅行して食卓を囲んでいるかのよう和気合々として楽しい時間を過ごすことができました。
加えて今回は西中洲のラ・カーヴ・ド・モンターニュ オーナーソムリエである山室裕子氏に参加且つワインを12本程セレクトして持ち込んでもらったのも面白い趣向でありました。
また、写真にも数枚あるように2人の子供はこの日の欠かせない存在となりました。2人は兄妹で、このお店の子だったのですが、お店に入ってから出ていく時までもうずーっと、ホントに休むことなくずぅーと、素敵にからんでくれました。食事ができない程。何度もおじいさん(?)に怒られていたのですが、姿がみえなくなるとまた全開!勿論自分たちの育ったお店だからこそでしょうが、これほど天真爛漫に人なつっこい子供も今時とても珍しいのではないでしょうか。元気一杯で圧倒されました。
楽しい食事の後は雰囲気が一変。南十字星から歩いて行ける距離の「WITH THE STYLE福岡」1FのBarへ。オープン以来、福岡のホテルの中で最も注目されているホテルといえましょう。
シャンパーニュでスタートし、終わりまでシガーの立ち込めるバーカウンター裏でゆっくりと愉しむことができました。スタッフの相馬氏に感謝です。やはり、お腹と心一杯の食事後には、バーでのひとときは欠かせないもの。うーん、バーはいいですね。
そんな訳で一応のお開きの後もバーでもっと愉しみたい皆さまは中洲に出向き「七島」へ。七島ながらのBarの心地よい喧噪に身を委ねたのでした。
さぁ、今日はビール、各種スティルワイン、ベトナムのスピリッツ、シャンパーニュ、モルト、マール、カクテルその他もろもろ飲みました。また次回!ということで本当にこれで終了ね!とタクシーに乗り、ふと気が付けば平尾の「BRITISH PUB SEI」のカウンターに・・・。場所が変われば、気分も変わります。最近お店の事情等で飲酒を控えていた私は、既に頭がガンガンし始めていたのですが、不思議ですね、心地よく飲めました。店主の坂平氏に感謝です。
■ 南十字星 092-474-6932
■ ウィズ ザ スタイル 092-433-3900(代表)
www.withthestyle.com
■ 七島 092-ニクイ-ナナシマ
■ BRITISH PUB SEI 092-522-8608
www.aback.cc/sei/
〈神無月編〉
【秋 aki】
基本ですが毎月の最後の日、月末を晦日といい、年の最後の月末(12月31日)が大晦日。また、大晦日の夜を除夜と呼ぶわけです。
時が経つにつれ、ハレの日であるお正月に向けて抑揚感は薄れ、年末年始といえど24時間営業・年中無休のお店は当然のごとく開いています。それでも、"もういくつ寝るとお正月♪"な感覚、ビッグイベントへ向けての期待感は皆さんそれぞれお待ちになるのでしょうが、日本古来からの、どこか神聖な気持ちに浸るような、晴れがましいお正月を迎える、前の清々しさといったものは急速に失われているように感じるのは私だけでしょうか。
ともあれ、慌ただしい師走のひと月を乗り越え、一年の終わりと始まりを過ごす夜は、日本人にとって特別な感情を抱かずにはおれないひととき・・・。しかし!しかしです。古の日本では、なんと日没から日没までを一日としていたのです。従って新年は大晦日の日没からスタートしていたというこの事実。ご存知だったでしょうか。除夜の行事が元旦行事の始まりだったのです。家族は当然夕方までに正月準備をすべて済ませ、皆そろって年神様を迎えました。おせちを食べるのは大晦日の晩からだったのです。
私が子供の頃は、大晦日の晩に母の作っているお正月料理をつまみ喰いしようとすると、これはお正月用のものだから手を出してはいけないとたしなめられた覚えが何度もありますが、あれは近代以前であれば正しい行為だったのです。我が国で新暦が採用されることになったのは明治5年の12月3日からですので、おそらくその辺りから、一日の始まりは夜中の0時からだという感覚が強く浸透していったのではないでしょうか。
ところで大晦日を大晦日たらしめる演出といえば除夜の鐘。百八つを突くのは中国の栄時代に始まった仏教儀式だそうです。それが日本に伝わり、鎌倉時代には禅寺で毎朝夕突かれていた模様。室町時代になると大晦日だけに突くように。
それにしても、なぜ108回なのでしょう。これはご存知の方も多いのではないかと思われますが、
a、私が幼い頃聞いて、それ以来信じていたのはこの説。
人間は己の生を、四苦八苦しながらも生きてゆくもの。ちなみに四苦八苦とは「生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。」仏教用語です。四苦は4・9。八苦は8・9。4×9=36。8×9=72。合わせて108"おお!なるほど!"と思っていたのですが、
c、人間の持つ百八つの煩悩を意味するとも言われます。
百七つを旧年中につき終わり、最後百八つめは新年になってからつきます
最後の百八つの煩悩を意味するとも言われます。
百七つを旧年中につき終わり、最後の百八つめは新年になってからつきます。
最後の百八つめと言いましたが、最初の一つきなのでしょうか。とすると、百八つの除夜の鐘の一つき目は、24時間×365日前のまさに一年前の音と重なることに・・・。地球が太陽の廻りをまる一個公転して同じ位置に来たその瞬間、日本全国の鐘が鳴り響き、新たな年が訪れます。なかなかロマンチックですね。
ともあれ、慌ただしい師走のひと月を乗り越え、一年の終わりと始まりを過ごす夜は、日本人にとって特別な感情を抱かずにはおれないひととき・・・。しかし!しかしです。古の日本では、なんと日没から日没までを一日としていたのです。従って新年は大晦日の日没からスタートしていたというこの事実。ご存知だったでしょうか。除夜の行事が元旦行事の始まりだったのです。家族は当然夕方までに正月準備をすべて済ませ、皆そろって年神様を迎えました。おせちを食べるのは大晦日の晩からだったのです。
私が子供の頃は、大晦日の晩に母の作っているお正月料理をつまみ喰いしようとすると、これはお正月用のものだから手を出してはいけないとたしなめられた覚えが何度もありますが、あれは近代以前であれば正しい行為だったのです。我が国で新暦が採用されることになったのは明治5年の12月3日からですので、おそらくその辺りから、一日の始まりは夜中の0時からだという感覚が強く浸透していったのではないでしょうか。
ところで大晦日を大晦日たらしめる演出といえば除夜の鐘。百八つを突くのは中国の栄時代に始まった仏教儀式だそうです。それが日本に伝わり、鎌倉時代には禅寺で毎朝夕突かれていた模様。室町時代になると大晦日だけに突くように。
それにしても、なぜ108回なのでしょう。これはご存知の方も多いのではないかと思われますが、
a、私が幼い頃聞いて、それ以来信じていたのはこの説。
人間は己の生を、四苦八苦しながらも生きてゆくもの。ちなみに四苦八苦とは「生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。」仏教用語です。四苦は4・9。八苦は8・9。4×9=36。8×9=72。合わせて108"おお!なるほど!"と思っていたのですが、
c、人間の持つ百八つの煩悩を意味するとも言われます。
百七つを旧年中につき終わり、最後百八つめは新年になってからつきます
最後の百八つの煩悩を意味するとも言われます。
百七つを旧年中につき終わり、最後の百八つめは新年になってからつきます。
最後の百八つめと言いましたが、最初の一つきなのでしょうか。とすると、百八つの除夜の鐘の一つき目は、24時間×365日前のまさに一年前の音と重なることに・・・。地球が太陽の廻りをまる一個公転して同じ位置に来たその瞬間、日本全国の鐘が鳴り響き、新たな年が訪れます。なかなかロマンチックですね。
〈秋祭りと放生会〉
博多で秋の始まりと告げる祭りといえば「放生会(ほうじょうや)」。どんたく、山笠と並ぶ博多三大祭りのひとつで、今から1000年以上も前から続いている秋祭り。
博多では「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」と呼ぶこのお祭は、万物の生命を慈しみ、殺生を戒める神事で、仏教の戒律である「殺生戒」を元としており、我が国では神仏習合によって神道にも取り入れられたとのこと。放生の神事であると同時に実りの秋を迎え収穫祭・感謝祭の面も大きく、春または秋に全国の寺院や八幡社で催されます。
このように筥崎宮(箱崎という場所にあるが何故か筥崎。読みは同じ)で毎年9月12日から18日まで開催されるこのお祭は、五穀豊穣より放生の面が強い印象ですが、日本では一般的に収穫の秋を意識した秋祭りが主流のように思われます。古来穀物の収穫の前には長い物忌みの期間が続き、忌み明けの秋祭りは新穀を神に供えて五穀豊穣を感謝する大事な祭りでした。この祭は田畑を守るために春から村に溜まっていた「田の神」を山に帰す神送りの祭りでもあります。田の仕事が一段落するのを待って行われるので、日取りは一定していませんでした。農耕民族であった日本人にとって、秋祭りは収穫への心からの感謝であり、厳しい冬を控えた束の間の安らぎの時間であったのでしょう。
博多では「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」と呼ぶこのお祭は、万物の生命を慈しみ、殺生を戒める神事で、仏教の戒律である「殺生戒」を元としており、我が国では神仏習合によって神道にも取り入れられたとのこと。放生の神事であると同時に実りの秋を迎え収穫祭・感謝祭の面も大きく、春または秋に全国の寺院や八幡社で催されます。
このように筥崎宮(箱崎という場所にあるが何故か筥崎。読みは同じ)で毎年9月12日から18日まで開催されるこのお祭は、五穀豊穣より放生の面が強い印象ですが、日本では一般的に収穫の秋を意識した秋祭りが主流のように思われます。古来穀物の収穫の前には長い物忌みの期間が続き、忌み明けの秋祭りは新穀を神に供えて五穀豊穣を感謝する大事な祭りでした。この祭は田畑を守るために春から村に溜まっていた「田の神」を山に帰す神送りの祭りでもあります。田の仕事が一段落するのを待って行われるので、日取りは一定していませんでした。農耕民族であった日本人にとって、秋祭りは収穫への心からの感謝であり、厳しい冬を控えた束の間の安らぎの時間であったのでしょう。
〈筥崎宮memo〉
福岡市東区箱崎に在る日本三大八幡宮の一つ。
平安時代初期の延長元年(923年)鎮座、天文15年(1546年)再建。
延喜21年(921年)、神のお告げにより醍醐天皇は「敵国降伏」の宸筆を下し、大陸、玄海灘に面して壮麗な宮が建立。延長元年大分宮(穂波宮)よりこの宮に遷座されたこととなっています。大陸に近く古くから文化の開けた地であり、海外との交流の門とであった為、護国の要衛でもありました。祭神は、応神天皇、神功皇后(応神天皇の母)、玉依姫命(神武天皇の母)。
日本三大楼門の一つがあるなど、国指定重要文化財の宝庫。
その楼門に掲げられる「敵国降伏」の文字、実際の蒙古襲来の際にはここで激戦があり、その際本宮が焼失。しかし蒙古軍3万、900隻の舟の行方は皆さんご存知の通り。その実績(?)もあり、地元の私たちにとってこの宮のイメージは戦いの神さま。ソフトバンクホークスの王監督がシーズン前に選手を引いてお参りする姿は、毎年ニュースの定番で、他にもアビスパだったり、オリンピック前の選手の方々が詣でるのはやはりこちらでしょう。
また、山笠にたずさわる方々にとっては何といってもお汐井取りの場所であり、なくてはならない大事なエリア。
そしてすべての福岡市民にとっては、何しろ三大祭の一つで、行ったことのない人はまずいない筈であろうと思われます。期間中、約1kmの参道には約700もの露店が。小さいころは家族で、中学生ぐらいになると気になる人を誘ってのデートの王道。"梨も柿も放生会"と言いますが、新しょうがはとても有名。うちのお店で、モスコミュール用のジンジャーウォッカをお見せすると、「なん?放生会で買ってきたと?」のセリフは今までに約1300回は聞いております。
平安時代初期の延長元年(923年)鎮座、天文15年(1546年)再建。
延喜21年(921年)、神のお告げにより醍醐天皇は「敵国降伏」の宸筆を下し、大陸、玄海灘に面して壮麗な宮が建立。延長元年大分宮(穂波宮)よりこの宮に遷座されたこととなっています。大陸に近く古くから文化の開けた地であり、海外との交流の門とであった為、護国の要衛でもありました。祭神は、応神天皇、神功皇后(応神天皇の母)、玉依姫命(神武天皇の母)。
日本三大楼門の一つがあるなど、国指定重要文化財の宝庫。
その楼門に掲げられる「敵国降伏」の文字、実際の蒙古襲来の際にはここで激戦があり、その際本宮が焼失。しかし蒙古軍3万、900隻の舟の行方は皆さんご存知の通り。その実績(?)もあり、地元の私たちにとってこの宮のイメージは戦いの神さま。ソフトバンクホークスの王監督がシーズン前に選手を引いてお参りする姿は、毎年ニュースの定番で、他にもアビスパだったり、オリンピック前の選手の方々が詣でるのはやはりこちらでしょう。
また、山笠にたずさわる方々にとっては何といってもお汐井取りの場所であり、なくてはならない大事なエリア。
そしてすべての福岡市民にとっては、何しろ三大祭の一つで、行ったことのない人はまずいない筈であろうと思われます。期間中、約1kmの参道には約700もの露店が。小さいころは家族で、中学生ぐらいになると気になる人を誘ってのデートの王道。"梨も柿も放生会"と言いますが、新しょうがはとても有名。うちのお店で、モスコミュール用のジンジャーウォッカをお見せすると、「なん?放生会で買ってきたと?」のセリフは今までに約1300回は聞いております。
〈神無月 kannazukiもしくはkaminazuki〉
10月は神無月。何故?水無月のように「神の月」なのでしょうか。
実はそうだとする説もあるのですが(神祭りの月の意?)、一般的には以下の説の方が多く信じられているようです。
〔秋祭り〕の頃でも述べましたが、神様方は収穫祭が終わるまで里で田畑を守る役割を担うため、人々のもとを離れられません。役割を果たし、出雲に向かうのが旧暦の10月で、この月は日本中の神様が出雲に集り里は神様不在となるため神無月。逆に出雲では神様大集合のため「神在月」。
しかし神様は出雲に集って何を?
縁結びの相談をするということがよく言われるようですが、日本の国の神様は何故かお酒が大好き。お酒をつくりに集るという説もあるようです。「お神酒あがらぬ神はなし」というぐらいですから、「らしい」ですよね。
また地方、出雲に出向かない神様の言い伝えもあるようで、そのお一人(?)が留守番役の「えびす様」。七福神の━━で、海上、漁業、商売繁昌の神さまですね。もうお一人の神様は「道祖神」。塞(さい)の神(二道祖神)は、子沢山で貧乏なため帰りたくても(行きたくても?)帰れないそうです。他の神様たちには「用事を済ませてから帰る」といって帰らず、土産だけはしっかり貰っていたとかいないとか。村境、峠、辻などにまつられる旅の安全を守る神である一方、生殖の神、縁結びの神ともされています。子沢山の筈ですよね。
実はそうだとする説もあるのですが(神祭りの月の意?)、一般的には以下の説の方が多く信じられているようです。
〔秋祭り〕の頃でも述べましたが、神様方は収穫祭が終わるまで里で田畑を守る役割を担うため、人々のもとを離れられません。役割を果たし、出雲に向かうのが旧暦の10月で、この月は日本中の神様が出雲に集り里は神様不在となるため神無月。逆に出雲では神様大集合のため「神在月」。
しかし神様は出雲に集って何を?
縁結びの相談をするということがよく言われるようですが、日本の国の神様は何故かお酒が大好き。お酒をつくりに集るという説もあるようです。「お神酒あがらぬ神はなし」というぐらいですから、「らしい」ですよね。
また地方、出雲に出向かない神様の言い伝えもあるようで、そのお一人(?)が留守番役の「えびす様」。七福神の━━で、海上、漁業、商売繁昌の神さまですね。もうお一人の神様は「道祖神」。塞(さい)の神(二道祖神)は、子沢山で貧乏なため帰りたくても(行きたくても?)帰れないそうです。他の神様たちには「用事を済ませてから帰る」といって帰らず、土産だけはしっかり貰っていたとかいないとか。村境、峠、辻などにまつられる旅の安全を守る神である一方、生殖の神、縁結びの神ともされています。子沢山の筈ですよね。
参考文献
「広辞苑」
「日本語源大辞典」監修 前田富祺(小学館)
「ことばの由来」堀井令衣知著(岩波新書)
「この言葉の語源を言えますか?」日本語倶楽部〔編〕(河出書房新社)
「日本語源大辞典」監修 前田富祺(小学館)
「ことばの由来」堀井令衣知著(岩波新書)
「この言葉の語源を言えますか?」日本語倶楽部〔編〕(河出書房新社)