「博多祗園山笠」
の季節となりました。私の感覚では追い山が終わると夏が本番を迎え、梅雨も明けるといったところ。さぁ〜頑張っていこうか!と気合いを入れ直して、いろんな事にチャレンジを!今年の追い山はなんと土曜日!いつもに増して多くの観光客が沿道を埋めることでしょう。福岡市民的には超常識ではありますが、毎年7月1日から15日の間に開催される博多祗園山笠は15日早朝の追い山が土曜日となれば、普段は会社や学校や出張などでご覧になれない方々も「今年は行ってみるか!」となる筈です。大雨が降ったりすれば別ですが、今年はかなりの人出となることでしょう。しかし、気を付けたいのは15日までの開催といっても、7つの流れ(上川端を含めると8つ)が街を駆け抜けるのは、早朝まだ明けやらぬ午前4時59分のスタート。朝8時ぐらいになるとすべて片付いていて、それから見るべきものは何もない状態。「追い山は14日の夜中から始まる」といった方が正しいのかもしれません。
写真上段は今年の中洲流れの扇子。珍しい色遣いが好評です。下段は手拭い。博多っ子は「てのごい」と発音しましょう。
隔月開催のトルマルキオン(快楽的美食の会)、今回は私の愛するお店の一つであるフレンチ店ビストロペシェミニヨンにて開催。
■ Bistro peche mignon
092-522-2366 福岡市南区大楠2丁目3-18ライオンズマンション大楠1F
(日赤病院の手前を右に曲がってすぐ右のマンション)
水曜日定休
前回のマンジャーモさんで料理の写真を何枚も撮り忘れてしまったので、今回は厳しい姿勢でもって、とり忘れゼロを目指しました!
なのに撮りもらしてしまいました・・・。舌ビラメにあわせて追加オーダーした白ワインをころっと忘れました。私の場合食い気が何よりも勝るという事実の自己認識を、一層強く確認した出来事でありました。
今回は参加人数が最後までゆれてしまい、ペシェさんには大変ご迷惑をかけてしまいました。すみません。
参加メンバーは、当然ながら(量を)飲む人が多いため、ワインの設定が大変なのでした。
しかしながら、まだ3回目の食事会なのにずいぶん昔からずっと続けているような気がしてしまうのは何故でしょう。思えば初回からトルマルキオンの名に恥じない盛り上がりで、時間があっという間に経ってしまいます。とても素晴らしいメンバーとのトルマルキオンなので、2ヶ月に一回と言わず毎月でも開催したいほど。毎回次の開催が待ちどおしい状態であり、これからもずっと楽しんでやっていけたらと思っております。次回は8月に決行予定。
さて、2次会はすぐ近くにあるバー・スモークへ。
■BAR Smoke
092-526-1991
福岡市南区高宮3-8-4
15・6席ほどのお店で、実は私、Bar Higuchiをオープンする前にヘルプとして10日間ほどお手伝いさせていただいたことがあるのです。もう5年近く前のことです。
午前0時を廻ると、バースデイコールが!当店スタッフの内野稚子(わかこ)が22歳の誕生日を迎えました。皆さんに囲まれて、なんと幸せな誕生日でしょう。店長の山崎啓氏に素敵な演出をしていただき、また、お店の中を店名通り真っ白になるほどスモーキーな状態にしてしまい、すみませんでした。
ある日の営業終了後、ジンジャーエールの空瓶。
この日はモスコミュールが75杯。毎日モスコミュールの杯数をカウントし出したのはここ一年ぐらいでしょうか。一日最高記録旗しか80杯台だと思うのですが、定かではありません。
なので、この75杯を正式記録としてレコードしたいと思います。
ちなみにこの日のジントニックは7杯・・・。
この日はモスコミュールが75杯。毎日モスコミュールの杯数をカウントし出したのはここ一年ぐらいでしょうか。一日最高記録旗しか80杯台だと思うのですが、定かではありません。
なので、この75杯を正式記録としてレコードしたいと思います。
ちなみにこの日のジントニックは7杯・・・。
以前お客様からいただいた「ココナッツラム」がとうとう空に。
正真正銘ココナッツなのかどうか割ってみました。
ココナッツでした。
正真正銘ココナッツなのかどうか割ってみました。
ココナッツでした。
左より「ランソンの2006FIFAワールドカップ公認シャンパン」、「32カ国の国旗ピンバッジ」「決勝戦トーナメント用コルクボート」。
いと空し?
(PN22%、PM58%、CH20%)
いと空し?
(PN22%、PM58%、CH20%)
今年でデビュー25周年を迎えたTHE MODS。25年間不動のメンバーで激しく転がり続ける、博多出身のロックバンド。
2006年6月16日(金)、久し振りとなる福岡市民会館でのライブ25thANNIVERSARY SPECIAL GIGS"NOW HOWEL NOW"に足を運びました。その圧倒的な存在感は、単にファンであるからカッコ良くみえるといった事ではなく、その場を共有する全ての人の心を動かさずにはいられない強力な感染力を有していました。
ただただひたすらに、突き進むこの唯一無二のロックバンドを形容するどんな言葉も、何か少し足りないような気がします。
しかし、日本中のすべてのモッズフリークにとって、私にとって、The Modsと共に生きることは幸福であり、これから先共に生きていけることは誇りであると、心からそう思っています。
"No Attack No Chanceどれだけ生きるかじゃなく
No Arrack No Chance 全てはどう生きるかさ "
2006年6月16日(金)、久し振りとなる福岡市民会館でのライブ25thANNIVERSARY SPECIAL GIGS"NOW HOWEL NOW"に足を運びました。その圧倒的な存在感は、単にファンであるからカッコ良くみえるといった事ではなく、その場を共有する全ての人の心を動かさずにはいられない強力な感染力を有していました。
ただただひたすらに、突き進むこの唯一無二のロックバンドを形容するどんな言葉も、何か少し足りないような気がします。
しかし、日本中のすべてのモッズフリークにとって、私にとって、The Modsと共に生きることは幸福であり、これから先共に生きていけることは誇りであると、心からそう思っています。
"No Attack No Chanceどれだけ生きるかじゃなく
No Arrack No Chance 全てはどう生きるかさ "
ノンジャンル編
左掲より、バイクの「グローブ」。何故この時期に?と思われるかもしれませんが、そのデザインが大変気に入りました。
「ゴディバ3種」。日本のハイビターチョコとはかなり傾向の違いを感じます。ホントにそのパーセンテージであるのか?でも美味。
「観用植物」。観用植物の名前はどうして覚えにくい名前なのか?もしくは一般的にはそうでもないのか?いつか誰かと真剣に話したいと思っています。
「ゴディバ3種」。日本のハイビターチョコとはかなり傾向の違いを感じます。ホントにそのパーセンテージであるのか?でも美味。
「観用植物」。観用植物の名前はどうして覚えにくい名前なのか?もしくは一般的にはそうでもないのか?いつか誰かと真剣に話したいと思っています。
〈水無月編〉
【七夕】
恐らく日本の年中行事の中で最もロマンティックなイベントといえるであろう七夕(たなばた)。
普段、あまり夜空は見上げることのない私でも、満天の星の中に一段と鮮やかに輝く天の川を、まぶたの奥に映してみたくなるものです。
子供の頃、笹に願いごとを書いた短冊を「笹の葉さーらさら・・・」と例のテーマソングを歌いながら飾っていたことを思い起こす方もきっといらっしゃることでしょう。 そんな夢のある、壮大な宇宙に想いをはせるこの七夕行事、そもそもなぜ七つの夕べと書いて「たなばた」となるのでしょうか?
調べてみたところ、とても簡単に説明できる内容ではないようです。答えは意外にはっきりしているのですが、それに至るまでの理解が少々長うございます。お急ぎの方は最後の方のみご覧下さい。
現在日本で行われているこのイベントは①奈良時代に中国から伝わった習俗と、②古代日本からの伝説、とが習合したものとされています。
①古代中国では牽牛星(けんぎゅうせい)=彦星と農事を知る基準としていました。
織女星(しゅくじょせい)=織姫は養蚕や糸・針の仕事を司る星と考えられていて、この2つの星は旧暦の7月7日頃(新暦では8月初旬ですね)天の川をはさんでひときわ輝いてみえることから、年に一度だけ逢えるというストーリーが作られた模様。この織姫伝説にあやかり、裁縫の上達を願う、乞巧淀奠(きっこうでん)という風習もありました。
②一方、古代日本の農村において七夕はお盆の行事の一部で先祖の霊を迎えるための禊の行事でした。一年の二期に分けて考えていた(正月と盆はその折目の時!)当時の人びとにとって七月は正月と同じくらい大切な月であったようです。7月の満月(15日)の夜、夏から秋への転換となるこの頃に祖霊を迎え、収穫物を供え感謝の気持ちを示す先祖祭りが行われていました、後にお盆となります。
当然ながら正月と同じくらい重要なイベントである以上、その準備も大変です。それは7月7日の半月の夜、若い女性が祖霊の降臨にふさわしいと思われる人里離れた水色の小屋に籠り、祖霊に着ていただくための衣服を織機で織り、そのできた布を笹につけて立てました。そう、笹は祖霊が降りてくる際の依り代(よりしろ)であったのです。
そして、この布を織る若い女性を棚機女(たなばたつめ)といいました。七夕と書いてたなばたと読むのでは、「七月の夕方から祖霊に捧げる布を織るたなばたつめ」からきているのです。
古代日本の七夕は盆行事の一つであった訳で、後に仏教が盛んになると、7月15日は仏教行事である孟蘭盆(梵語 ullambana)となったため、七夕行事は7日に繰り上げられ、星祭りの色合いが濃くなっていったようです。
ということで、日本ではこの①棚機女と、②中国の織姫伝説が結びついたものが七夕行事となり広まって現在に至るようです。日本の行事としては珍しくお酒の伴わないお祭りですね。
参考文献 「冠婚葬祭のなぜ?」ニューミレニアムネットワーク 2500円(税込)
普段、あまり夜空は見上げることのない私でも、満天の星の中に一段と鮮やかに輝く天の川を、まぶたの奥に映してみたくなるものです。
子供の頃、笹に願いごとを書いた短冊を「笹の葉さーらさら・・・」と例のテーマソングを歌いながら飾っていたことを思い起こす方もきっといらっしゃることでしょう。 そんな夢のある、壮大な宇宙に想いをはせるこの七夕行事、そもそもなぜ七つの夕べと書いて「たなばた」となるのでしょうか?
調べてみたところ、とても簡単に説明できる内容ではないようです。答えは意外にはっきりしているのですが、それに至るまでの理解が少々長うございます。お急ぎの方は最後の方のみご覧下さい。
現在日本で行われているこのイベントは①奈良時代に中国から伝わった習俗と、②古代日本からの伝説、とが習合したものとされています。
①古代中国では牽牛星(けんぎゅうせい)=彦星と農事を知る基準としていました。
織女星(しゅくじょせい)=織姫は養蚕や糸・針の仕事を司る星と考えられていて、この2つの星は旧暦の7月7日頃(新暦では8月初旬ですね)天の川をはさんでひときわ輝いてみえることから、年に一度だけ逢えるというストーリーが作られた模様。この織姫伝説にあやかり、裁縫の上達を願う、乞巧淀奠(きっこうでん)という風習もありました。
②一方、古代日本の農村において七夕はお盆の行事の一部で先祖の霊を迎えるための禊の行事でした。一年の二期に分けて考えていた(正月と盆はその折目の時!)当時の人びとにとって七月は正月と同じくらい大切な月であったようです。7月の満月(15日)の夜、夏から秋への転換となるこの頃に祖霊を迎え、収穫物を供え感謝の気持ちを示す先祖祭りが行われていました、後にお盆となります。
当然ながら正月と同じくらい重要なイベントである以上、その準備も大変です。それは7月7日の半月の夜、若い女性が祖霊の降臨にふさわしいと思われる人里離れた水色の小屋に籠り、祖霊に着ていただくための衣服を織機で織り、そのできた布を笹につけて立てました。そう、笹は祖霊が降りてくる際の依り代(よりしろ)であったのです。
そして、この布を織る若い女性を棚機女(たなばたつめ)といいました。七夕と書いてたなばたと読むのでは、「七月の夕方から祖霊に捧げる布を織るたなばたつめ」からきているのです。
古代日本の七夕は盆行事の一つであった訳で、後に仏教が盛んになると、7月15日は仏教行事である孟蘭盆(梵語 ullambana)となったため、七夕行事は7日に繰り上げられ、星祭りの色合いが濃くなっていったようです。
ということで、日本ではこの①棚機女と、②中国の織姫伝説が結びついたものが七夕行事となり広まって現在に至るようです。日本の行事としては珍しくお酒の伴わないお祭りですね。
参考文献 「冠婚葬祭のなぜ?」ニューミレニアムネットワーク 2500円(税込)
参考文献
「広辞苑」
「日本語源大辞典」監修 前田富祺(小学館)
「ことばの由来」堀井令衣知著(岩波新書)
「この言葉の語源を言えますか?」日本語倶楽部〔編〕(河出書房新社)
「日本語源大辞典」監修 前田富祺(小学館)
「ことばの由来」堀井令衣知著(岩波新書)
「この言葉の語源を言えますか?」日本語倶楽部〔編〕(河出書房新社)